弁護士吉田孝夫の憲法の話(71) 健康で文化的な生活を営む権利
第25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と定めています。この権利は、「生存権」と呼ばれますが、ただ生存するだけの権利ではありません。もちろん、個人にとって生存は必要不可欠ですから、殺されないという権利は当然ありますが、それは自由権に属します。殺されることから逃れる自由です。憲法25条が定めているのは、それ以上の、「健康で文化的な」生活を営む権利を保障するということです。「最低限度」というのは、極貧の生活という意味ではありません。最低でも、個人が十分に健康で文化的な生活を営めるように、これは、国が個人を殺してはならないという消極的な保障ではなく、国には積極的に、個人の生活を健康で文化的な程度まで向上させる義務があり、個人から国に対し、それを要求する権利があるということです。このような権利は社会権と呼ばれ、それを保障する国は、福祉国家、社会国家と呼ばれ、そのような憲法は現代憲法と呼ばれます。日本国憲法は、自由権の保障だけではなく社会権を保障する現代憲法です。
この権利を保障する基本的な制度が生活保護です。国は、第2次安倍内閣の2013年から2015年にかけて段階的に生活保護の基準を引き下げ、各地で憲法25条に基づく訴訟が起こされました。高裁段階では、違憲を認めない判決もありますが、名古屋高裁、福岡高裁、大阪高裁で、引き下げは違憲とする判決が出され、2025年6月27日、最高裁も、違憲とする判断を示しました。生活保護を受けることを引け目に感じる人が少なくありませんが、貧しいことは人間として劣っていることを意味しません。新自由主義の影響で、勝ち組と負け組、自己責任という考え方が広まっていますが、金儲けは恥ずかしいことだという思想は、洋の東西を問わず昔からありました。そのため資産家は、公益や慈善のためにお金を出そうとしてきました。