弁護士吉田孝夫の憲法の話(72) 社会国家─国は何のためにあるのか
前回は、社会国家、福祉国家の憲法が現代憲法と呼ばれると書きました。「夜警国家から福祉国家へ」と言うと、福祉国家の思想は新しい思想かと思われるかもしれません。それは新しくもあり、古くもあると言えます。ただ、昔の人は、国は何のためにあるのかというより、善政とは何かという方向から考えていました。戦前の日本で、国は何のためにあるのかと言い出せば、それは、天皇は何のために存在するのかということになり、危険思想と見なされたかもしれません。
紀元前の中国戦国時代、孟子(もうし)は、梁という国の王から次のような質問を受けました。
「自分の国では西の地方が凶作のときは、困った人々を東に移し、東で余った食糧を西に移す。東の地方が凶作のときは、同様に、人々や食糧を移す。こんなに善政に心を砕いているのに、隣国の人口が減少せず、自国の人口が増えないのはなぜか。」
これに対し、孟子が答えた例え話が「五十歩百歩」という言葉の元になっています。王がやっていることは、他国とそれほど違わないということです。その上で、孟子は、農民が適切に農業をし、漁師が乱獲を慎み、山を荒らさないようにすれば、国は豊かになり、教育や賞罰もきちんと行えば、人々は人間的な生活ができるようになり、人々は集まってくるでしょうというように、種々の具体的な案を王に示しました。
善政とは、すべての人が人間らしい生活ができるようにする政治だという意味では、現代憲法的な考え方は昔からあったとも言えます。しかし、国は何のためにあるのかという根本的な議論は、17世紀、市民革命の時代の哲学者ホッブズの社会契約説からでした。国がなければ、人々が互いに争い、解決できないのではないかというのが始まりです。そこから、国は何のためにあるのかが活発に議論されるようになりました。