弁護士吉田孝夫の憲法の話(76) 教育を受ける権利(3)
1945年の日本の敗戦から80年を過ぎて、戦争の記憶の継承をどうするかという話題がよく取り上げられるようになりました。戦争の記憶を焼き付けた重要文書が日本国憲法だと思われます。旧教育基本法では、平和的な国家及び社会の形成者としての国民を育成することが教育の第1の目標とされていました。平和教育の第一歩は憲法教育だと思います。
憲法に刻まれた平和の根本は不戦です。現在、いろんな人が「不戦」と言っていますが、ほとんどの人の不戦は、軍隊を持った「不戦」です。しかし、憲法は、軍隊を持たない不戦を定めました。ここには、「平和ボケ」ではない、戦争の絶対悪を経験した人々の思いが深く刻み込まれています。旧教育基本法は、その憲法と強く結び付いていました。
しかし、今ほとんどの人は、もし隣国が攻めてきたらどうするのか、それと戦う軍隊が必要ではないかと言うだろうと思います。それが合理的で現実的だと。戦わずに、逃げる、降伏するなど問題外だと。しかし、それでも戦わないということが、犠牲を最小限にすることだと教えるのが平和教育だと思います。
第2次世界大戦の直前に亡くなったドイツの哲学者フッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」という本は、物理学に代表される自然科学の発展に警鐘を鳴らしています。科学は、物質と精神を分離する2元論を前提にして、「生活世界」から無味乾燥な物質世界だけを取り上げています。第2次世界大戦以来の科学技術の発展は大量破壊兵器を生み出しました。科学的合理主義万能の考え方は誤りだということが分かります。
現在、高等教育の場である大学でも、理工系は必要だが文科系は不要ではないかという意見が現れています。それは人類を滅亡に向かわせる危険があります。
