日本政治の左翼の衰退と「中道」の消失

かつて、日本では「保守」と言えば自由民主党(自民党)、それに対立する「革新」と言えば日本社会党、共産党と相場が決まっていました。
また、左翼と言えば、共産党、社会党、その他、社会主義、共産主義、無政府主義を掲げる集団であり、右翼と言えば、戦前の国粋大衆党総裁から戦後は日本船舶振興会会長となった笹川良一、戦前は「児玉機関」と呼ばれる組織で武器の調達などに関わり戦後は暴力団との関係で政界の黒幕と呼ばれた児玉誉士夫らに代表される反共集団でした。
自民党は自由党と民主党が合併した歴史もあり、ハト派と呼ばれる、必ずしも反共ではない議員からタカ派と呼ばれる真正右翼まで、幅広い議員がいました。
その間に民社党が存在し、左翼と右翼の中間政党と認識されていました。ただし、社会党も分裂と統一の歴史があり、民社党の中にも左派と右派があり、社会党の左派は共産党に近く、民社党の右派は右翼に近いという状況でした。
そこに、公明党が「中道」を掲げて参入したのですが、それはすぐに民社党に近い党と考えられ、実際に、社会党、公明党、民社党の3党が「社公民」という共闘態勢を組んだこともありました。
しかし、1990年のイラクとクエートとの紛争を発端とする湾岸戦争以後、公明党は自民党に近寄り、1992年には社公民路線は破綻しました。
1994年には自民、社会、新党さきがけの連立内閣で社会党の村山富市委員長が首相になり、民社党も消滅するなど、「左翼」、「右翼」、「中道」というのも訳が分からなくなりました。
社会党は、連立政権維持のため、それまでの安保条約廃棄という方針を安保条約堅持という方針に180度変更して支持者を裏切ったことにより衰退し、消滅しました。
こうして、共産党はそのまま、社会党は社民党として存続しているものの、左翼は存在感を失い、中道も消滅したのです。
この歴史からみたれいわ新選組の立ち位置というのは、代表の山本太郎氏も「保守本流」と言ったように保守であり、左翼でも中道でもないことになります。それが左翼か保守のように見えること、自民党の石破氏が「サヨク」と言われたりすることは何を意味するか。とりもなおさず、日本全体が右傾化し、左翼と右翼の座標軸が著しく右にずれたということです。
元の座標軸から見れば、自民党の大勢が極右と言って差し支えない状況になっています。立憲民主党と公明党が「中道改革連合」の看板で新党を結成するそうですが、はっきり言って中道などではなく、右翼です。公明党の斉藤鉄夫代表は右翼バッジ(ブルーリボンバッジ)を着けています。それが明確な目印です。
現在の日本で最も支配的な政治思想(思想とも呼べない感情)は偏狭な右翼だと思います。これは、地球や人類を見ない危険な徴候です。