弁護士吉田孝夫の憲法の話(80)労働について考える
人間にとって労働とは何か。旧約聖書の創世記では、最初の人間であるアダムとイブがエデンの楽園で暮らしていた時、禁断の知恵の木の実を食べたために楽園から追放されたので、労働が苦痛を伴うものになったとされています。しかし、狩猟・採集にせよ、農耕にせよ、人間にとって労働は喜びと苦痛の両面を持ってきました。労働は価値の尺度とも考えられてきました。マルクスは、資本主義社会において労働者が労働の価値から切り離された状態を「疎外」と呼んでいます。
ところで、現在の社会の変化の方向は、どこを目指しているのか、気になります。人間の欲望を充足するために、AI(人工知能)とロボットはどんどん能力を高めていきます。AI+ロボットをAIロボと呼ぶことにします。権力者が、AIロボの軍隊を編成して自在に動かし、人類が滅亡するという道筋も見えますが、そうではなく、平和が維持されるという前提でも、明るい未来は見えて来ません。
欲望充足の一環として、労働の苦を軽減するためのいろいろな発明がなされていますが、それは究極的には人間の労働そのものを不必要にするのではないか。知能労働でも肉体労働でもAIロボが人間の能力を追い越しつつあります。政治家も裁判官もAIロボの方がいいかもしれません。高性能のAIロボが獲得した知識・能力はAIロボによって共有されます。労働者はAIロボとの競争に勝つことはできず、失業します。そうすると、労働がないので労働の疎外もなくなりますが、人間は何を思って生きていくのでしょうか。欲望充足が極限に達し、労働が消えてしまったらと想像すると、ギリシャ神話のシジフォスが課せられたような無意味な労働ではない限り、資本主義社会でも労働の喜びは存在し、労働の権利は人間の根源に結び付いているような気がします。
