弁護士吉田孝夫の憲法の話(6)  憲法改正作業のスタート

1945年8月30日,連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に着陸した飛行機からコーンパイプを加えてタラップを降りる映像は,ほとんどの人が見られたと思います。その3日後の日本と連合国との正式な降伏文書の調印を経て,連合国軍総司令部(GHQ)が日本の占領統治を開始しました。日本では,敗戦を「終戦」,占領軍を「進駐軍」と呼びます。戦争中,軍隊が敵軍の攻撃に堪えられずに退却することを「転進」と呼んでいたのと同類です。今でも,政府が使う日本語には,国民に誤解を与えるようなものがあります。

日本では,敗戦後まもなくから,戦争犯罪に関連するような公文書は,次々に焼却されました。焼却は,行政官庁でも司法官庁でも行われました。日本の官僚が公文書を大事にしないことについては,このような悪しき伝統があります。

GHQは,直接行動としては戦犯の逮捕がありますが,統治については一応日本政府に任せ,必要な指令を発するという間接統治の形を採用しました。同年10月には,政治犯の釈放や特高警察の廃止等を要求する人権指令,12月には,国と神道との政教分離を要求する神道指令が発せられました。人権の尊重については日本が受諾したポツダム宣言に書かれていたことですが,神道指令は,神道と国との関係が人権尊重や民主化の障害になると判断したものと考えられます。

同年10月には政府は東京帝大の松本烝治教授を委員長とする憲法問題調査委員会を発足させました。その頃,民間でも憲法改正案を作ろうという動きがありました。その代表例が「憲法研究会」で,同年12月には,国民主権を前面に出した新憲法の草案要綱を完成させ,政府とGHQに届けました。