弁護士吉田孝夫の憲法の話(67) 学問の自由(1)
憲法23条は学問の自由を保障しています。学問の自由は、思想信条の自由と共通点が多いのですが、前に、「反省によって生まれた憲法条項」に書きましたように、明治憲法下で、神話を現実の歴史とする教育が行われ、天皇機関説事件では立憲主義に基づく憲法学説が弾圧され、滝川事件では自由主義的刑法学説が弾圧され、国が大学教授らの思想調査や人事介入によって大学を国策に従わせ、国民の合理的な思考を奪い、国全体が無謀な戦争に突き進んでいったという反省から、憲法に学問の自由が規定されたので、それは大学の自治も保障していると解釈されています。
学問の自由の内容について、憲法学者の多数は、初等・中等教育の自由は含まれないと主張していますが、そのような説には疑問があります。人権を侵害する者は、第1に国などの権力者です。国は、ともすれば、国民を国家主義的、全体主義的な方向に引っ張ろうとします。その場合に邪魔になるのは、国の方針に従わない初等教育を含む教育、学問です。そこで、憲法が学問の自由を保障したにもかかわらず、国は、徐々に、教育、学問を統制するための制度を作り上げてきました。学習指導要領や教科書検定や特別権力関係や教育基本法改正などの問題は前に書きました。
現在、大学の自治が事実上ほぼ消滅したのではないかと考えられています。前に「古い全体主義と新しい全体主義」として書きましたように、1970年代以降、世界に広まった新自由主義の影響で、すべてが経済効率という面から判断され、誰もがそれを疑わなくなったことが大きな原因だと思います。古くは、法学は哲学などより実利にかかわるので、一段低く見られて来ました。今は、事件でも事業でも、何かにつけて経済効果は何億円かとか言われる時代です。国は、金儲けに関する「選択と集中」戦略を大学にまで適用し、強制手段だけではなく、お金の配分によって大学をコントロールできるしくみを作っています。