論考 弾劾裁判とは何か ── 裁判官弾劾法は違憲
弾劾裁判とは何か ── 裁判官弾劾法は違憲 吉 田 孝 夫 2024.11.10
はじめに
本論
1 問題提起
2 憲法78条、64条の文理解釈私案
ア 「弾劾」という語の由来
イ アメリカ合衆国憲法の弾劾規定
ウ アメリカ合衆国憲法の弾劾(Impeachment)は刑事裁判
エ 憲法78条の「弾劾」についての私見
オ 日本における現在の憲法学者の考え方
3 憲法78条、64条の目的、趣旨
ア 64条と78条の関係
イ 78条の目的、趣旨
ウ 64条に関する通説の検討
4 弾劾法の出自
ア 弾劾法の前身
イ 判事懲戒法の懲戒事由及び処分規定と裁判所法等への引き継ぎ
ウ 判事懲戒法の職務停止規定と弾劾法への引き継ぎ
エ 弾劾法は判事懲戒法と同質であり、弾劾(impeachment)と異質であること
5 弾劾法及び弾劾裁判の性質・特徴
ア 弾劾事由の実体は懲戒事由
イ 弾劾裁判所の構成、規模
ウ 明確性の原則
エ 裁判官の日常監視
6 弾劾法の実害
ア 弾劾裁判の政治化
イ 日本における司法権の独立の脆弱化
ウ 職務停止決定制度の破壊的な威力
エ 比例原則の無効
7 合憲限定解釈の可能性
8 弾劾訴追及び弾劾裁判に対する不服申立
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はじめに
2024年4月3日、裁判官弾劾裁判所(以下、「弾劾裁判所」という。)は岡口裁判官に対し罷免の判決を言い渡した。
私は、この裁判について重大な問題点が置き去りにされていると考える。私が裁判官弾劾制度について初めて疑問を持ったのは、私が司法試験受験勉強をしていた1969年の平賀書簡事件(札幌地裁で長沼ナイキ基地訴訟を担当していた福島裁判官に対し、平賀札幌地裁所長が書簡を渡して、干渉した事件)について、平賀所長と福島裁判官が訴追委員会に訴追請求され、平賀所長は弾劾事由なしで不処分、福島裁判官は書簡を公表したことが弾劾事由に該当するが訴追猶予とされた時のことである。平賀書簡事件は、裁判官の独立を侵すものとして大きな問題となったが、右翼団体は、福島裁判官が青年法律家協会(青法協)に所属しているとして、問題を裁判官の政治的偏向問題にすり替え、マスコミも、ある時期から、報道の基調を変え、その情報操作に加担するようになった経緯を目の当たりにした。この頃から、最高裁は、石田和外長官と矢口洪一事務総長のコンビで青法協所属の裁判官に対し、圧力をかけるようになった。宮本判事補の再任拒否事件は1971年で、私が司法試験に合格したのは1972年、まさに、裁判所の激動の時代であった。(弾劾訴追の政治的決定に関するその他の事件については君塚正臣「裁判官の独立─『司法権・憲法訴訟論』補遺(2)」横浜国立大学学術情報リポジトリ参照)
私がこの制度に疑問を持ったのは、前述のとおり、この制度が非常に政治に翻弄される制度だと感じたからである。ただ、従来は、訴追された裁判官が罷免されても、それに反対することが説得力を持つとは言えない事案ばかりであった。岡口裁判官の事案では、初めて日弁連等から弾劾訴追に疑問が呈され、罷免判決に対する批判が続出した。しかし、現在の弾劾制度自体が違憲だという意見は見当たらない。私は、この制度自体が違憲であると考えるので、私の見解をまとめてみた。
本論
1 問題提起
憲法98条は、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と定める。そこで、私が論証しようとしているのは、現在裁判官に対する弾劾制度を定めている裁判官弾劾法(昭和22年11月20日法律第137号、以下、「弾劾法」という。)が憲法78条、64条に根本的に反しており、その効力を有しないということである。
法律が合憲か違憲かを検討するためには、憲法の解釈から始めなければならない。裁判官弾劾制度については、憲法78条及び64条の解釈が出発点となる。法解釈の順序として、最初に行わなければならないのは文理解釈である
ところで、身近にある憲法文献(野中俊彦他「憲法Ⅱ」、浦部法穂「憲法学教室」、有倉遼吉他「条解日本国憲法」、木下智史他「新・コンメンタール憲法」)には、憲法に書かれている「公の弾劾」についての解説がない。例えば、「新・コンメンタール憲法」には、憲法78条について、「『公の弾劾』すなわち弾劾裁判所による場合」とあり、憲法64条の「弾劾裁判所」の説明も、弾劾法によって行われているので、これでは裁判官弾劾法が合憲か違憲かを判断することはできない。従って、「弾劾」という文言の由来から検討せざるを得ない。
2 憲法78条、64条の文理解釈私案
ア 「弾劾」という語の由来
裁判官の「弾劾」に関する憲法の条文は、次のとおりである。
78条 「裁判官は、(中略)場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。」
64条 「国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。」
「弾劾」という語は英米において歴史的に形成された固有の意味を有する法律用語である。日本には、憲法に規定されるまで、「弾劾」の制度がなく、マッカーサー草案の「Impeachment」を「弾劾」と翻訳した。
マッカーサー草案第70条の日本語訳は次のとおりである。
「判事ハ公開ノ弾劾ニ依リテノミ罷免スルコトヲ得行政機関又ハ支部ニ依リ懲戒処分ニ附セラルルコト無カルヘシ」
憲法78条は、このマッカーサー草案を引き継いでおり、アメリカ合衆国憲法の弾劾裁判の制度を継受したことが明らかである。
Black’s Law Dictionary第5版には、Impeachmentについて次のような説明がある。
Impeachment
A criminal proceeding against a public officer, before a quasi political court, instituted by a written accusation called ”articles of impeachment”; for example, a written accusation by the House of Representatives of the United States to the Senate of the United States against the President, Vice Presi- dent, or an officer of the United States.
弾劾。 「弾劾状」と呼ばれる書面による告発によって開始される、準政治法廷での公務員に対する刑事訴訟。
Articles of impeachment.
The formal written allegation of the causes for an impeachment, answering the same purpose as an indictment in an ordinary criminal proceeding.
弾劾状。 弾劾事由についての正式な書面による申し立て。通常の刑事手続きにおける起訴と同じ目的に答えるもの。
イ アメリカ合衆国憲法の弾劾規定
アメリカ大使館のウエブサイトの訳による合衆国憲法には、「弾劾」について次のように規定されている。
第1章[立法部]
第2 条[下院]
[第5 項]下院は、議長その他の役員を選任する。弾劾(Impeachment)の訴追権限は下院に専属する。
第3 条[上院]
[第6 項]すべての弾劾(all Impeachments)を裁判する権限は、上院に専属する。この目的のために集会するときには、議員は、宣誓または宣誓に代る確約をしなければならない。合衆国大統領が弾劾裁判を受ける場合には、最高裁判所長官が裁判長となる。何人も、出席議員の3分の2の同意がなければ、有罪の判決を受けることはない。
第2章[執行部]
第4 条[弾劾] 大統領、副大統領および合衆国のすべての文官は、反逆罪、収賄罪その他の重大な罪または軽罪につき 弾劾の訴追を受け、有罪の判決を受けたときは、その職を解かれる。
The President, Vice President and all civil Officers of the United States, shall be removed from Office on Impeachment for, and Conviction of, Treason, Bribery, or other high Crimes and Misdemeanors.
合衆国憲法が規定する弾劾裁判は、上記のとおり、明らかに刑事裁判である。「反逆罪、収賄罪その他の重大な罪または軽罪」というのは、どれも犯罪を前提にしている。
そこで、日本の憲法78条、64条の文理解釈としても、弾劾裁判を刑事裁判と解釈するべきかという疑問が当然起こる。日本でも、裁判官は、弾劾裁判所で有罪判決を受けたときは罷免されると解釈するべきかということである。
なお、「その他の重大な罪または軽罪」の「重大な罪または軽罪」というのは一括りの用語で、「重大な」という修飾語は、「罪または軽罪」に掛かると解されている。そう解さないと、重大でない罪は弾劾事由にならないのに、それより軽い軽罪が弾劾事由になるという矛盾が生じる。何が「重大な」に該当するのかという点については、反逆罪、収賄罪(国家的犯罪、職務犯罪)が例示され、それに匹敵する「重大な罪」または「重大な軽罪」につき有罪とされた場合に資格を失うということである。
軽罪(Misdemeanors)については、Black’s Law Dictionary第5版には、次のように説明されている。
misdemeanor
Offences lower than felonies and generally those punishable by fine or imprisonment otherwise than in penitentiary. Under federal law, and most state laws, any offence other than a felony is classified as a misdemeanor.
軽罪。 重罪より軽い犯罪であり、通常、罰金または懲役刑以外の刑罰が科される犯罪。 連邦法およびほとんどの州法では、重罪以外の犯罪は軽罪に分類される。」
ウ アメリカ合衆国憲法の弾劾(Impeachment)は刑事裁判
アメリカの弾劾裁判は、イギリスの弾劾裁判を継受したものであるが、アメリカでもイギリスでも弾劾裁判は刑事裁判である(野上修市「アメリカの連邦裁判官の弾劾」https://meiji.repo.nii.ac.jp/record/424/files/horitsuronso_45_5-6_47.pdf、佐藤立夫「弾劾制度の比較研究 上、前記Black’s Law Dictionary第5版)。アメリカでは、その裁判を行うのが議会であって、その判決は、「有罪」または「無罪」である。有罪の判決により刑罰として文官はその資格を失い、解職される。犯罪ではない不品行では有罪にならない。又、アメリカ合衆国憲法の弾劾は、弾劾事由が重大な刑事事件に限定されており、「重大な」については、反逆罪、収賄罪が例示されている。
2020年2月、アメリカで弾劾訴追されたトランプ大統領に対し、上院が無罪の判決をしたというニュースがあった。トランプ大統領の任期は判決前の1月20日に終わっていた。従って、弾劾裁判は大統領を解職するか否かを判断する裁判ではないことは明らかである。
エ 「弾劾」についての私見
日本国憲法の条文の解釈において合衆国憲法の制度を参照している例として、31条がある。従来、日本には、適正手続(デュー・プロセス・オブ・ロー)という概念が存在しなかった。しかし、憲法学者は、日本国憲法31条の、「法律の定める手続」について、合衆国憲法の適正手続(デュー・プロセス・オブ・ロー)を継受したものとして、「適正」の意味を読み込んでいる。
日本国憲法64条の「弾劾裁判所」は、英文では明確に、「impeachment court」、78条の「公の弾劾」は「public impeachment」と表示されている。31条に適正手続を読み込むことと対比して、弾劾にimpeachmentの意味を読み込むことには何ら支障がないどころか、弾劾をimpeachmentと解釈するべき必然性があると考える。
即ち、特段の理由がない限り、弾劾事由は、反逆罪、収賄罪(国家的犯罪、職務犯罪)の例示に見られるような重大な犯罪に該当する事由でなければならないと解釈するべきである。少なくとも、重大な犯罪を弾劾事由とし、該当する犯罪の例を列挙するべきである。アメリカでは、弾劾裁判の対象は文官全体とされているのに対し、日本では下級裁判所の裁判官から最高裁長官までの裁判官だけが対象とされ、その点では違いがあるが、「弾劾」の意味については、合衆国憲法と別異に解すべき理由がない。
78条の「裁判官は、(中略)場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。」という文章の構成から「弾劾」の意義を考えると、次のようになる。
a「裁判官は、公の弾劾によらなければ罷免されない。」という文章と、b「裁判官は、公の弾劾により罷免される。」というのは、同じ意味ではない。どちらも裁判官が罷免されることを定めるものではあるが、aは、それ以外に、裁判官が罷免される条件を「公の弾劾」に限定する意味を含むのに対し、bは限定の意味を含まない。つまり、78条は、「弾劾」という法律用語によって、裁判官が罷免される条件を限定したと解される。仮に、「弾劾」に特に意味はなく、立法機関が自由に定義できるとすれば、立法機関に対し、「弾劾」という語によって罷免の条件に制限を加えている憲法の文章は意味をなさない。即ち、文理解釈として、「弾劾」を立法機関が自由に定義できるという解釈は許されず、裁判官の罷免事由は国会の自由裁量に任されているとする通説は妥当ではなく、又、罷免事由の限界は、「弾劾」という法律用語によって限定されると解すべきことになる。
オ 日本における現在の憲法学者の考え方
先に挙げた文献では、「弾劾」という語の固有の意味については何も記載されていない。その理由は、憲法64条2項に、「弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。」との規定があるので、国会の自由裁量に委ねられているということのようである。つまり、憲法78条及び64条は、次のように変えても、現行の規定と意味は変わらないというのである。
78条 「裁判官は、(中略)場合を除いては、国会が設置する裁判官懲戒裁判所の公の懲戒裁判によらなければ懲戒免職されない。」
64条 「国会は、懲戒免職の請求を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する裁判官懲戒裁判所を設ける。裁判官の懲戒免職に関する事項は、法律でこれを定める。」
弾劾制度の趣旨を国民の公務員選定罷免権の具体化とする通説的立場によれば、弾劾制度は、裁判官に対する懲戒処分のうち、罷免処分の権限を国会に設置される懲戒裁判所に限定したものであり、弾劾事由即ち罷免事由については国会の自由裁量に任されているとしている。
しかし、「弾劾」の概念について、アメリカ合衆国憲法のimpeachmentは無関係で、それにとらわれるべきではないと論じた学説は見当たらなかった。
3 憲法78条、64条の目的、趣旨
ア 64条と78条の関係
64条1項は、「国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。」と定める。裁判官は厚く身分保障されており、国民の公務員選定罷免権に基づき、国会だけが裁判官を罷免することができることにしたものと解されている。2項は、弾劾に関する事項は法律に委任している。憲法の基本書は一般に、この立法の委任について前述のとおり、国会が自由裁量権を有しているかのように、弾劾裁判を弾劾法の内容のとおりに解説している。これは、弾劾裁判所の意義について、64条を主、78条を従とし、「弾劾」という法律用語に特に意味はないとする解釈から来ていると思われる。
イ 78条の目的、趣旨
78条の目的、趣旨について、一般に、同条は、裁判官の職権の独立を定める76条3項の規定を受け、その独立を担保するために、裁判官の身分を保障したものと解説されている。その点につき、それと異なる解説は見当たらなかった。
76条3項について、現に係属中の具体的な裁判の訴訟指揮に関して、裁判官訴追委員会が調査することが許されるのかという点について、許されないと解するのが通説とされている。しかし、それを超えて、訴追委員会が裁判官の日常行動を調査することは問題がないのかということは議論されていない。
ウ 64条に関する通説の検討
土屋孝次教授は、裁判官分限法による懲戒処分を司法府内の自律権的制度とみなせるとし、弾劾裁判所が公正な裁判をするため、異なる憲法的機関が担当する分限裁判と弾劾裁判の並行は可能であり,同一行為に対する懲戒処分と罷免判決の重複も許されるとする(「時論 史上10件目の弾劾裁判は何を示したか」ジュリストNo.1601)。つまり、司法機関が行う懲戒処分は、仲間内で決められるので、公正に疑問があるという考え方に立っている。それは、弾劾制度を裁判官の身分保障のためではなく、それとは逆に、裁判官の罷免を容易にするための制度だと解していることが窺える。このような立場からは、弾劾事由を制限すべきだという意見に対しては、国民の公務員選定罷免権を具体化した国会の罷免権限を不当に制限することになり、民主主義に反するという批判や、裁判官に適しない裁判官を辞めさせることが困難になるという批判が考えられる。
しかし、通説的な解釈は、前記のとおり、憲法78条の文理解釈に適合しないばかりでなく、裁判官の独立を担保するために必要な裁判官の身分保障を定めた趣旨に矛盾する。
司法権の独立、裁判官の独立は、民主主義が必ずしも常に正当な政治的選択を行うとは言えないという現実に対応して、理性による歯止めを掛けるために考えられた原理である。それは立憲主義の柱の一つでもある。裁判官の身分保障は、司法権の独立、裁判官の独立、法の支配にとって、必要不可欠の制度である。この観点からは、弾劾制度は、裁判官の身分が一般の公務員より厚く保護されるような制度でなければならず、弾劾事由には一定の限界が存在しなければならない。従って、国会に自由裁量権があるという解釈こそが憲法78条と整合しない。
4 弾劾法の出自
ア 弾劾法の前身
弾劾法の前身は、明治憲法下の判事懲戒法(明治23年8月21日法律第68号)である。判事懲戒法の内容は、裁判所法49条と裁判官分限法と弾劾法に引き継がれた。
この点、裁判官分限法(昭和22年10月29日法律第137号)の前身が判事懲戒法であるとの解説は見られる。例えば、条解日本国憲法改訂版482頁には、「旧憲法下の判事懲戒法2条では懲戒の種類として免官を認めていたが、現憲法では罷免の事由は限定されており、懲戒処分による免官は認められない。(註解1169頁、宮澤・コメ630頁、佐藤勲・コメ1003頁等学説の一致するところ)」と解説されている。
なお、明治憲法下の裁判所構成法では、裁判官の身分保障のために、裁判官は任期も定年もなく、終身官とされていた。
イ 判事懲戒法の懲戒事由及び処分規定と裁判所法等への引き継ぎ
判事懲戒法の規定は次のとおりである。
1条 「凡ソ判事ヲ懲戒スルハ左ノ場合ニ於テ懲戒裁判所ノ裁判ヲ以テスヘシ
第一 職務上ノ義務ニ違背シ又ハ職務ヲ怠リタルトキ
第二 官職上ノ威厳又ハ信用ヲ失フヘキ所為アリタルトキ」
2条 「懲罰ハ左ノ如シ
第一 譴責
第二 減俸
第三 転所
第四 免職」
3条 「前條何レノ懲罰ヲ適用スヘキヤ否ハ所犯ノ軽重ニ従ヒ懲戒裁判所之ヲ定ムヘシ 懲戒裁判所ハ懲罰ノ適用ヲ定ムルニ当リ平生ノ行状ヲ斟酌スルコトヲ得」
これが、裁判所法、裁判官分限法及び弾劾法に次のとおり引き継がれた。
① 裁判所法49条
「裁判官は、職務上の義務に違反し、若しくは職務を怠り、又は品位を辱める行状があったときは、別に法律で定めるところにより裁判によって懲戒される。」
② 裁判官分限法2条
「裁判官の懲戒は、戒告又は一万円以下の過料とする。」
③ 弾劾法2条
「弾劾により裁判官を罷免するのは、左の場合とする。
一 職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき。
二 その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。」
ウ 判事懲戒法の職務停止規定と弾劾法への引き継ぎ
職務停止規定は弾劾法のみに引き継がれた。
判事懲戒法の職務停止に関する規定は次のとおりである。
49条 「判事ハ左ノ場合ニ於テハ当然職務ヲ停止セラルルモノトス
第一 刑事裁判手続ニ於テ勾留セラレタルトキ
第二 刑事裁判ニ依テ官職ノ喪失ニ該ル刑ノ言渡ヲ受ケタルトキ
第三 懲戒裁判ニ依テ免職ノ言渡ヲ受ケタルトキ」
50条 刑事裁判ニ依テ拘留ノ刑ノ確定裁判ヲ受ケタルトキハ其の刑期ノ終ルマテ当然職務ヲ停止セラルルモノトス
51条 「懲戒裁判所ハ懲戒事件ノ転所停職若ハ免職ニ該当スルモノト思料スルトキハ何時ニテモ職権ヲ以テ又ハ検事ノ申立ニ因リ懲戒裁判手続結了ニ至ルマテ被告ノ職務ヲ停止スルコトヲ決定スルヲ得但シ職権ヲ以テ決定ヲ為ストキハ検事ノ意見ヲ聴クヘシ」
これが弾劾法に次のとおり引き継がれた。
39条 「弾劾裁判所は、相当と認めるときは、何時でも、罷免の訴追を受けた裁判官の職務を停止することができる。」
エ 弾劾法は判事懲戒法と同質であり、弾劾(impeachment)と異質であること、
以上のとおり、判事懲戒法の懲戒事由「職務上の義務に違背し又は職務を怠りたるとき」「官職上の威厳又は信用を失うべき所為ありたるとき」と裁判所法の懲戒事由「職務上の義務に違反し、若しくは職務を怠り、又は品位を辱める行状」と弾劾法の弾劾事由「職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき」「その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき」との間には質的な差異はない。
職務停止についても、弾劾法は判事懲戒法の要件を緩和しただけである。」
5 弾劾法及び弾劾裁判の性質・特徴
ア 弾劾事由の実体は懲戒事由
以上述べたとおり、弾劾法は、判事懲戒法の内容をかなり忠実に引き継いでいる。弾劾法が定める弾劾事由は犯罪を要件としておらず懲戒事由であり、弾劾裁判は刑事裁判ではなく懲戒裁判であり、弾劾裁判所は懲戒裁判所である。その弾劾事由が判事懲戒法の懲戒事由や裁判所法の懲戒事由と異なる点は、「著しい」「甚だしい」という修飾語が付いていることだけであると言える。名前は弾劾事由であるが、実体は懲戒事由である。
懲戒事由に「著しい」「甚だしい」という修飾語を付けても、性質は変わらず、程度の差にすぎない。しかも、程度についての尺度がなく、「反逆罪、収賄罪」というような例示もないので、裁判員が気分次第で決められるような文言である。
通説的な弾劾制度の理解によると、憲法78条の、「裁判官は、公の弾劾によらなければ罷免されない。」という文言が意味するのは、明治憲法下では、裁判官の懲戒が裁判所に委ねられていたが、その懲戒権のうち、免職処分の権限を裁判所から剥奪し、それを国会の権限に移すことである。従って、その目的は、司法権の独立の担保ではなく、国会の司法権に対する民主的統制の強化である。しかし、それは、同条の通説的解釈と矛盾する。
イ 弾劾裁判所の構成、規模
アメリカ合衆国憲法では、下院全体の議決により訴追し、上院全体の議決により、有罪・無罪を決する。それに対し、日本では、訴追委員会の委員は衆参両議院の委員各10人、計20人で構成され、定足数は衆参両議院の各7人計14人である。出席委員の3分の2以上の賛成で弾劾訴追ができるから(10条)、最低10人の国会議員の意見で訴追できる。弾劾裁判所の裁判員は、衆参両議院の議員各7人、計14人で構成され、定足数は衆参両議院の各5人計10人である。罷免判決は、審理に関与した裁判員の3分の2以上の多数決による(20条、31条2項)。従って、最低7人の裁判員が賛成すれば、裁判官を罷免できる。しかも、訴追された裁判官の職務停止については、単純多数決によるので(30条2項本文)、弾劾裁判所では、たった6人の国会議員の意見で、下級裁判所の裁判官から最高裁長官に至るまで、特定の裁判官を司法の現場から排除できる制度になっている。
このような仕組みは重厚長大より軽薄短小を好む日本の国民性に合致しているのかもしれないが、弾劾裁判所が憲法15条1項の、公務員の選定、罷免権が国民の固有の権利であるとする規定に基づく正統性を主張するにはあまりにも貧弱である。
弾劾裁判所の員数が14人というのは、最高裁の員数15人より少ない。しかも、国会議員という資格だけで、特に法的素養などは資格要件とされていないので、これで、公正な裁判になるのか、疑問である。後述のとおり、弾劾事由も不明確であるから、大政翼賛的な政治状況で少数者に対する人権侵害が行われそうになった場合、国策に従わない裁判官が多数者によって排除され、司法が歯止めの役割を果たすことができない。
憲法には、弾劾裁判を行う機関については記載されているが、弾劾訴追を行う機関については記載がない。しかし、訴追機関と裁判機関が同質であることは、裁判の公正を疑わせる。弾劾法は、訴追委員会も弾劾裁判所も、上記のとおり、衆参両議院からの各同数の議員により構成され、異なるのは人数だけである。訴追機関と裁判機関が同質であり、検察官が訴追した被告人を別の検察官が裁判するのとほとんど変わらない。
ウ 明確性の原則
重大な不利益処分を科す場合の要件については刑事責任と同様に明確性の原則が考慮されるべきであるが、上記のとおり、弾劾法は裁判官に対し、職務停止、罷免という重大な不利益をもたらすにもかかわらず、非常に曖昧な要件しか定めていない。これも、実体が懲戒事由であることの現れである。しかも、それは個人の問題ではなく、裁判官の身分保障、ひいては司法権の独立にかかわることであるにもかかわらず、明確性の原則が無視されている。
岡口裁判官の事案はSNSの投稿が弾劾事由とされた。これは表現の自由に関わる。表現の自由の制限には、明確性の原則が重なる。岡口裁判官に対する罷免判決により、非常に不明確な理由によって重大な不利益が科されることが明らかになった。このような不明確な法律の存在自体が表現の自由に対する侵害であり、それが立法府による裁判官の罷免権を定めているということは、裁判官の身分保障に反し、裁判官の独立、司法権の独立を極度に危うくしている。この面からも、弾劾法の違憲性が根拠付けられる。
つまり、憲法78条は、裁判官の身分保障というより、国民の公務員選定罷免権に基づき、裁判官の罷免を容易にするために弾劾制度を新設したというのでなければ、弾劾法は憲法と整合しない。
エ 裁判官の日常監視
弾劾法が定める弾劾事由は、「著しい」「甚だしい」という修飾語を取り除けば、職務上の義務違反、職務懈怠、その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を失うべき非行であり、非常に広汎で、裁判官の日常生活が監視の対象になり得る。アメリカ合衆国憲法の、反逆罪、収賄罪というような例示もないので、その範囲がどこまで広がるか予測不能である。
訴追委員会に呼び出されるだけでも裁判官にとっては相当の圧力である。これは、裁判官の身分保障を骨抜きにするものであり、憲法が定めた弾劾に適合していないと考える。
その上、弾劾法15条は、
「何人も、裁判官について弾劾による罷免の事由があると思料するときは、訴追委員会に対し、罷免の訴追をすべきことを求めることができる。
② 高等裁判所長官はその勤務する裁判所及びその管轄区域内の下級裁判所の裁判官について、地方裁判所長はその勤務する裁判所及びその管轄区域内の簡易裁判所の裁判官について、家庭裁判所長はその勤務する裁判所の裁判官について、弾劾による罷免の事由があると思料するときは、最高裁判所に対し、その旨を報告しなければならない。
③ 最高裁判所は、裁判官について、弾劾による罷免の事由があると思料するときは、訴追委員会に対し罷免の訴追をすべきことを求めなければならない。
④ 罷免の訴追の請求をするには、その事由を記載した書面を提出しなければならない。但し、その証拠は、これを要しない。」
と定めている。これは、国民を総動員して、裁判官の日常行動を監視できる体制にし、更に、司法の内部においても、各裁判官に対する監視・統制を強化しているということを意味する。
6 弾劾法の実害
ア 弾劾裁判の政治化
1969年の平賀書簡事件について、平賀札幌地裁所長と福島裁判官が裁判官訴追委員会に訴追請求され、訴追委員会は、平賀所長に対し弾劾事由なしで不処分、福島裁判官に対し書簡を公表したことが弾劾事由に該当するとして訴追猶予を決定した。この訴追委委員会決定は、裁判官の独立という憲法及び立憲主義を無視した完全に政治的な判断である。しかも、裁判官訴追委委員会が政治的な判断を行うということは、それと同質の弾劾裁判所も政治的な判断を行うということである。日弁連は、1970年12月19日の臨時総会において、上記訴追委員会決定を不当とする決議を行った。東大法学部卒の議員がツイッター(現X)で、立憲主義を聴いたことがない、芦部信喜教授の講義でも聴かなかったと公言していたが、このような議員が14人程度集まって、弾劾裁判の公正が保たれるとは到底考えられない。
イ 日本における司法権の独立の脆弱化
日本国憲法は、下級裁判所の裁判官について任期制を採っているが、これは法曹一元を予定したものと言われている。しかし、当時の日本の支配層は法曹一元を受け入れず、官僚裁判官制度(キャリア・システム)の継続を押し通した。任期制と官僚裁判官制度という木に竹を接いだ制度になったため、下級裁判所の裁判官は、10年毎の再任の関門にさらされている。又、極端な昇進制も相まって、最高裁事務総局から強力な統制を受けており、裁判官の独立が侵害されている(P.カラマンドレーイ著小島武司・森征一訳「訴訟と民主主義」60頁以下)。
1947年(昭和22年)の最高裁誕生の際には、司法権独立運動派が推す細野長良氏を落選させるための謀略を窺わせる事件まであり、その結果、司法権独立運動派の裁判官は裁判所を去ることになり、他方、戦争責任を問われるべき司法省側の裁判官は残った。こうして、旧司法省官僚は最高裁事務局を構成し、その伝統が現在の最高裁事務総局まで引き継がれ、裁判官を統制している(西川伸一「最高裁のルーツを探る─裁判所法案起草から三淵コート成立まで一」政経論叢 第78巻第1・2号、丁野暁春他「司法権独立運動の歴史」)。旧司法省勤務の裁判官を「陸上勤務」、裁判所で裁判をする裁判官を「海上勤務」と称したが、最高裁発足後は、事務局(現事務総局)勤務を「陸上勤務」、裁判所で裁判をする裁判官を「海上勤務」と称しているというのも、その状況を表している(西川伸一「日本司法の逆説―最高裁事務総局の「裁判しない裁判官」たち」)。
その歴史的経緯を象徴するのは、司法省人事課長から最高裁事務局人事係長になり、1969年に最高裁長官になった石田和外氏である。石田長官の下、いわゆるブルー・パージが敢行された。
裁判官の独立に対する侵害は下級裁判所だけではなく、最高裁判所でも、大阪空港公害訴訟事件の上告審で、事件を審理した第一小法廷への外部からの干渉があったことが、2023年、団藤重光最高裁判事の事件ノートによって明るみに出た。しかも、著名な刑事法学者である団藤判事でさえも司法権の独立についての認識が甘く、第一小法廷は干渉に屈し、事件は大法廷に回付された。
司法権の独立は三権分立の柱であり、立憲主義、法の支配の根本であるが、日本全体に司法権の独立という観念が薄弱である。国会議員の意識の中でも司法権の独立の観念が乏しいと考えられるが、それが弾劾裁判所の決定や判決という形に現れると、日本の司法権の脆弱さが増幅される。
岡口裁判官の事件では、特に表現の自由が論点になったはずであるにもかかわらず、明確性の原則について、あまり議論されていない。罷免判決をすれば、裁判官が萎縮するというようなことは言われているが、それこそ弾劾法が明確性の原則を無視していることの明白な実害であって、岡口裁判官に対する罷免判決が裁判官を萎縮させるのではなく、不明確な理由でも裁判官を罷免することが可能な弾劾法が裁判官を萎縮させるのであり、萎縮させるだけではなく、実際に罷免できるのである。議院内閣制の下で、国会の支配的勢力及び政府は、裁判官の些細な表現を手がかり、足がかりにして、下級裁判所の裁判官から最高裁長官に至るまで、気に入らない裁判官を狙い撃ちして排除できるという制度になっていることが問題とされなければならないと考える。
ウ 職務停止決定制度の破壊的な威力
岡口裁判官は、2021年6月16日、訴追委委員会によって訴追され、翌7月29日、早くも弾劾裁判所は同裁判官の職務停止を決定した。弾劾裁判の第1回公判が開かれたのは、翌2022年3月2日、判決が言い渡されたのは、それから2年後の2024年4月3日である。つまり、弾劾裁判所は、まだほとんど審理もしていない段階で、岡口裁判官を裁判所から追放してしまった。
裁判には理由を付さなければならないが(33条1項)、職務停止決定の理由は、「相当と認める」だけでいいので、理由は不要とされているようである。実質的には、訴追状(14条)に記載された「罷免の事由」が認められるということと、職務を即時停止しなければならない緊急性を認めたことが、「相当」の内容である。
しかし、断行の仮処分ともいうべき決定が簡単にできるのは、この制度がいかに破壊的であるかを表している。
前述の弾劾裁判所の軽薄短小な構成とお手軽な手続により、多数党にとって邪魔な奴と目を付けられた裁判官は、裁判中でも裁判所から追放され得る。
国家公務員法79条、地方公務員法28条は、刑事事件で起訴された場合には、本人の意に反して休職することができると定めている。岡口裁判官は起訴どころか、刑事責任を問われたこともない。弾劾法によって、裁判官は明らかに一般公務員よりも身分保障を薄くされている。
エ 比例原則の無効
岡口裁判官に対する罷免判決について、比例原則違反というような批判があるが、弾劾法が定める弾劾事由に比例原則をどのように当てはめるのか、見当が付かない。それに、比例原則を聴いたことがある議員は立憲主義を聴いたことがある議員よりも更に少数だと思われる。
そもそも弾劾法には、判決の違法を理由にして不服申立をする途が無く、比例原則違反を論じる法的実益が存在しない。実際、比例原則違反を主張して司法裁判所に訴訟を提起できるという説は見当たらない。
7 合憲解釈の可能性について
岡口裁判官に対する罷免判決を批判する意見は多いが、ほとんどの意見は弾劾法2条の「その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。」に該当しないというものである。しかし、弾劾裁判所は、岡口裁判官の不適切なSNS投稿は、「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。」に該当すると判断した。「著しい」か「著しくない」かが、罷免判決が正当か否かを決する基準とする点で共通している。
しかし、私見は、「弾劾」とは、アメリカ合衆国憲法から継受したimpeachmentの制度であり、「反逆罪、収賄罪」が例示されるような重大な犯罪を要件とするべきであって、軽々しい事由に基づいて行われるべきものではないと解するので、争点が全く異なる。「その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。」という事由はimpeachmentとは無関係に、明治憲法下の判事懲戒法に由来するものであって、そのような事由で裁判官を簡単に罷免できるという制度の存在そのものが裁判官の身分保障を骨抜きにし、裁判官の独立、司法権の独立を侵害している。従って、これを合憲的に適用する余地はないと考える。
岡口裁判官に対する罷免判決を批判する意見は多いが、弾劾法違反だという批判は現状肯定にとどまっている。「不適切なSNS投稿」という、犯罪にもならない行為、しかも表現の自由という問題点がある事案にもかかわらず、罷免は有効と認めているのであり、弾劾法の実害を取り除くための方途を何ら示していない。
8 弾劾訴追及び弾劾裁判に対する不服申立
弾劾訴追及び弾劾裁判に対しては司法裁判所に不服申立ができないと解されている。不服申立のための手続法も存在しない。しかし、憲法98条1項は、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律(中略)は、その効力を有しない。」と定め、憲法81条は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と定めている。「一切の法律」の中には弾劾法も含まれる。従って、弾劾裁判所といえども、合憲か違憲かを決定する終審裁判所にはなり得ないのであり、それについては最高裁判所の判断に従わなければならない。
違憲により当然無効とすれば、弾劾訴追や職務停止決定に対しても、司法裁判所に不服申立ができなければならない。違憲審査権は訴訟に付随して行使されるので、訴訟が前提になるが、弾劾訴追、職務停止決定、罷免の判決を受けた者は、直接憲法81条を根拠にして、憲法違反を理由に、それらの無効確認訴訟を提起できると解される。弾劾訴追、職務停止決定、罷免判決を受けた者は、それらの無効確認訴訟を提起する訴えの利益、当事者適格を有する。訴訟提起とともに、執行停止も認められるべきである(行政事件訴訟法25条、38条3項の類推)。