弁護士吉田孝夫の憲法の話(66) NHKテレビの朝ドラ「虎に翼」に思うこと
今回は、おもむきを変えて、もう終わりましたが、「虎に翼」について私が思うことを書いてみます。この歴史ドラマでは、いくつもの憲法的テーマが取り上げられました。ドラマの最後の方に、個々の裁判官の思想による差別的な人事異動が出てきました。それは、具体的には青年法律家協会(青法協)の裁判官部会に所属する裁判官を東京や大阪などの地方裁判所から通常予想される裁判所とは異なった、地方裁判所の支部などに、本人の意思に反して転任させたり、10年ごとの任期の終了の際に再任を認めなかったりしたという事例です。それは法律家の間では「ブルー・パージ」と呼ばれます。ブルーというのは、青法協の青から取ったもので、パージというのは、第二次世界大戦敗戦後、日本が占領されていた時期に公務員や大企業の従業員から共産党員が排除されたレッド・パージから取ったものです。
このブルー・パージには、裏の歴史があります。日本の司法は、戦前には、大審院がその頂点でしたが、戦後、新憲法により、最高裁判所を頂点とする構成に変わりました。明治憲法でも三権分立が定められ、児島惟謙大審院長が司法権の独立を守ったという話は学校で教えられていると思います。しかし、明治憲法の下、行政官庁である司法省の司法大臣が裁判官を監督するという、三権分立に反する体制になっていました。そのため、戦前から司法権独立運動を行っていた裁判官がいたのです。最高裁の発足の際、その人々は、細野長良大審院長を初代最高長官に任命させるべく行動しましたが、反対派は、三淵忠彦氏を押し立て、司法省の謀略と疑われる経緯により、同氏が初代最高裁長官になりました。それとともに、司法省人事課長石田和外氏(ドラマでは桂場等一郎)が最高裁の初代人事係長になるなど、最高裁の事務局の中に司法省の拠点が残りました。石田氏は1969年、最高裁長官になり、ブルー・パージを断行しました。