弁護士吉田孝夫の憲法の話(38) 古い全体主義と新しい全体主義(3)
新自由主義は、手っ取り早く言えば、金儲けが正義だということになります。巨大資本の自由が保障される結果、上位1%の富裕層が全個人資産の37%を所有しているなどと言われています。普通の人々と富裕層の間には、格差が大きすぎて競争意識が入り込む余地はありません。
「民営化」「小さな政府」は、国家目的を人々の生活の保障ではなく、他国との経済競争、軍事競争に移行させました。普通の人々には、自分の国が勝つことが、自分が勝つことだというように思い込ませています。
18世紀の啓蒙思想家の一人、イギリスのジョン・ロックは、神が世界を人間に共有のものとして与えたのに、所有権が正当と認められる根拠は何か、それは労働だと言っています。ただ、貨幣が発明され、それに価値を認める人間の暗黙の同意があるので、労働によって正当とされる以上の大きな財産に対する権利が生じてしまったというのです(岩波文庫「市民政府論」鵜飼信成訳)。現在では、神も、無制限の富の蓄積を制止する倫理も失われ、欲望が解放されました。
私が大学に入学した頃は学生運動が盛んで、大学構内には、運動のスローガンが書かれた立て看板がありました。その中には、「産学協同反対!」という文字もありました。今は、産官学協同は当たり前、産官学軍協同まで言われる時代です。大学の研究も、利益を生みそうな研究、特に理工系の学部が重視され、文科系は要らないとか、かえって国益に反するというような意見まで出てきています。「国益」というのは、国家主義と強く結び付く意識です。学問の自由も、経済の面から、国家によって制限される時代になってきました。
インターネットにより、長文をじっくり読んで思索する習慣は縮小し、「ネトウヨ」(ネット右翼)と呼ばれる現象も見られます。こうして、いろんな要素がからみあって、新たな国家主義が生み出されています。