弁護士吉田孝夫の憲法の話(43) 反省によって生まれた憲法条項(4)

前に、「軍国主義への道」で書きましたように、天皇は国の機関であるという学説は国によって禁止され、国民(臣民)全体が、天皇は現人神(あらひとがみ)であると信じるように洗脳されました。又、国は、学者の思想調査を行い、国立大学の教員の人事に介入することもありました。その一例としては、滝川事件があります。京大の瀧川幸辰教授が書いた本の内容に問題があるという理由で、鳩山一郎文部大臣は、大学総長に働きかけて教授を辞めさせようとしましたが、総長が拒否したので、教授を休職処分にしました。この時、京大法学部の教員全員が大学の自治を侵害するものだとして、辞表を提出して抗議したという事件です。
国が学問に介入したことも、戦争を起こそうとする軍や政府の暴走に歯止めがかからなくなった一因だと考えられました。
その反省から、憲法23条は、「学問の自由は、これを保障する。」と定めました。その歴史的な経緯から、学問の自由には、大学の自治が含まれると解釈されています。
学問の自由には、学問をする自由だけでなく、教える自由(教授の自由)も含まれます。戦前は、大学では、神話は歴史ではないということは当たり前のことでしたが、普通教育では国定教科書により、神武天皇が日本の最初の天皇であり、日本は神の国だと教えられました。それが、大学でも学問が国によって左右される下地になったことから考えると、普通教育でも教育の自由は保障されるべきです。しかし、占領軍(進駐軍)の総司令部(GHQ)が、日本の非軍事化・民主化の方針を変更した1948年頃から、あらゆる面で「逆コース」と呼ばれる政策が採用され、1952年の占領終了後も、軍事化・非民主化が進行してきました。最高裁判所は、普通教育にも教育の自由があることは認めるものの、国の学習指導要領に法的拘束力を認めるなど、教育の自由を制限しています。