弁護士吉田孝夫の憲法の話(52) 請願権(2)請願権を狭めるもの
前回、憲法16条には、「平穏に」請願する権利とあるだけなので、「請願法で過度に制限することは違憲になります。」と書きました。現在、国会や都道府県・市町村の議会に対する請願については、国会法や地方自治法によって、議員の紹介が必要とされています。他方、陳情には議員の紹介は不要です。紹介してくれる議員がいない場合、請願ができないということは、請願権に対する制限です。
裁判所は、そのような制限を合憲と認めています。裁判所の基本的な憲法解釈は、かつての憲法学の大勢に従い、請願は単に希望を述べるだけであり、請願を受けた公務員は聞き置くだけでよく、憲法上は、応答義務もないというのです。憲法15条は、「すべて公務員は、全体の奉仕者」と定めているのに、裁判官も含めて、公務員はお殿様のような感覚に浸っていると思われます。日本国憲法の、「何人も、・・・平穏に請願する権利」というのは、アメリカ合衆国憲法を参照した規定であり、英米法では、請願は書面による正式の申請とされています。それにもかかわらず、現在の日本で江戸時代の目安箱とあまり変わらない解釈が通用しているのはおかしなことです。
議員を選挙する間接民主制には民意が政治に十分反映されない欠点があるため、憲法学者の間でも、請願権は間接民主制の短所を補う制度として、その価値が見直されつつあります。
裁判所の判断は世論によって変わる可能性があります。その実例として、サラ金、多重債務者に関する判例の変更が挙げられます。かつて、貸金業者は借主から利息制限法の利息よりはるかに高い利息を取り、借主が法律に定める制限を超えて利息を支払った場合、裁判所は長く、借主の救済を拒否してきました。しかし、それを不当とする世論の高まりと、訴訟の急増によって、最高裁は過払金の返還など、借主の救済を認める方向に、大きく判断を変えました。黙っていては人権は狭められるばかりです。