弁護士吉田孝夫の憲法の話(62) 表現の自由(3)

表現の自由を含む精神的自由が特に重要とされる理由は、それが侵害されると、憲法秩序を復元することが不可能になるということであり、その観点から、政治的表現の自由が特に重視されるべきですが、日本では政治的表現の自由が尊重されていないということは、前に書きました。
「インフォームドコンセント」というのは医療において提唱されてきた言葉で、医師の側から患者の側に対し十分な情報提供、説明を行い、患者側がそれを理解した上で治療方法を選択できるようにするということです。それは民主主義を成り立たせる基礎でもあると考えられます。インフォームドコンセントを民主主義に当てはめると、現在の世界情勢、国内の状況、それに対するいろんな人のいろんな視点などの情報がすべての有権者に与えられてこそ、有権者の選択が正当に政治に反映されることになるはずです。表現の自由には、それを受け取る側の知る権利が対応していると言われるのも、そのためです。ただし、医療では、インフォームドコンセントが欠けている場合の被害者は患者とその周囲の人々に限られますが、民主主義が正常に機能しない場合、その被害者は国全体、それにとどまらず、世界に広がるかもしれません。その意味では、国民は知る権利とともに知る責任があります。
表現の自由に対する侵害は、政府が放送局に圧力を掛けるというようなやり方だけでなく、世論を誘導するために片寄った情報を流すという方法も取られます。その方法の一つに、やらせタウンミーティング(対話型集会)というものがあります。裁判員裁判制度についても各地で開催されましたが、それは制度への賛同の世論を盛り上げるために最高裁が情報操作のトップ企業である株式会社電通に委託して行われた事業でした。その集会では地元の住民が発言するのですが、発言者には、最高裁の意向通りに発言する人(いわゆる「さくら」)が混じっていました。