弁護士吉田孝夫の憲法の話(1) 明治憲法の誕生
今回は最初ですので,大日本帝国憲法(明治憲法)からお話ししたいと思います。
1868年,徳川幕府が倒れて,明治元年になりました。これは革命とも言うべきものです。幕府に反対する武士勢力が天皇をかついで新政府を発足させました。江戸時代末期には,日本にヨーロッパの民主主義の知識も入ってきていましたが,武士の勢力が強かったので,ヨーロッパのような市民革命は起きませんでした。
それでも,明治維新後,民主的な国を目指す人々は自由民権運動の下に集まりました。そのような人々が明治政府に第一番に要求したのが,国会開設と憲法制定でした。
明治憲法は,学校では天皇が国民(臣民)に与えた欽定憲法であると教えられています。しかし,この憲法は19世紀自由主義,近代立憲主義と無関係ではありません。天皇や政府が憲法を制定したいと思ったのではなく,自由民権運動の内圧と,日本が欧米諸国と対等の関係に立とうとするためには避けられない外圧によって,渋々憲法を制定したのです。
そのため,明治憲法にも「第二章臣民権利義務」という人権保障規定があり,三権分立が定められ,憲法の「告文」には,「皇考ノ神祐ヲ禱リ併セテ朕カ現在及将来ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ」,即ち,天皇が現在及び将来の臣民に率先してこの憲法に従い,誤らないことを誓うと書かれています。
それにも関わらず,明治憲法の下では人権の保障がほとんど無に等しいものにされてしまいました。憲法に人権保障が書かれているだけでは,人権は保障されなかったのです。それはなぜかということを,よくよく考えなければならないと思います。