弁護士吉田孝夫の憲法の話(8) GHQの憲法草案作成作業

1946年2月1日から,GHQは大急ぎで憲法草案の作成作業を行いました。その背景には,GHQの占領政策に対し連合国の意見を反映させるために,前年12月,アメリカ,ソ連,イギリス,中華民国等の11カ国で構成される極東委員会が発足していたという事情がありました。

アメリカは天皇制を存続させる方針でしたが,連合国には,天皇の戦争責任を厳しく追及するべきだという意見が強く,1946年2月26日には極東委員会の第1回会合が予定されていました。GHQとしては,その時までに,ポツダム宣言の範囲内で天皇制を存続させる内容の,独自の憲法草案を作成し,日本の政府に示す必要があると考えたのです。

GHQ総司令官マッカーサーは,憲法草案作成に当たって,3原則を指示しました。それは,天皇制の存続,戦争放棄,封建制度の廃止の三つです。日本人は明治以降,日本は近代国家の仲間入りをしたと思っていましたが,マッカーサーは,日本を封建制国家と見ていたことが分かります。マッカーサーだけではなく,1950年代でも,若い世代が親の世代を批判するときには,「封建的」という言葉がよく使われていました。

GHQには軍人だけではなく民間人もスタッフとして雇用されていましたが,急に憲法草案を作成するという事態に対応できるスタッフがいたということは驚きです。民生局のケーディス次長(大佐)を中心に,憲法の各部門を担当する八つの委員会が設置され,草案の作成作業が進められました。

スタッフの最年少者は,ベアテ・シロタ・ゴードンという,ウイーンで生まれ,日本で子ども時代を過ごした後,アメリカに渡った22歳の女性でした。特に女性の人権条項については彼女が大きく貢献したと言われています。