弁護士吉田孝夫の憲法の話(30) 憲法を解釈するということ(2)

日本国憲法は文章になっている成文憲法(憲法典)ですから、解釈の出発点は、日本語として読んで理解するということです。ただし、専門用語としての法律用語もありますから、全てが日常用語として理解できるとは限りません。法律用語も含めて、条文を言葉のとおり理解するというのは、文理(ぶんり)解釈と呼ばれます。しかし、文理解釈ですべて解決という訳にはいかず、言葉の本来の意味を拡張したり縮小したりして解釈することもあります。なぜかというと、文理解釈では憲法全体の基本原則や立憲主義に合致しないというようなことがあり得るからです。そのような場合には、論理的解釈、目的論的解釈、歴史的解釈というような解釈が行われます。そのために、拡張解釈、縮小解釈、類推解釈、反対解釈というような方法が使われます。

例えば、憲法31条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と定めています。これを、そのまま解釈すれば、国会は憲法の条文に反しない限り、刑罰を科する手続きを自由に定められることになります。しかし、そのような解釈では、明治憲法と変わりなく、人権の保障が不十分なので、大多数の憲法学者は憲法31条を、アメリカの「デュー・プロセス・オブ・ロー」の理念を取り入れたものと解釈し、「法律の定める手続」では足りず、「法律の定める「適正な」手続きによらなければ」、刑罰を科せられないと解釈しています。

解釈は、憲法や法令の内容を正しく理解することが目的ですが、憲法は権力を縛るための法ということもあって、権力者は自分に都合の良いように解釈をねじ曲げることがあります。しかし、間違った解釈によって憲法が変わることはなく、それは憲法違反であり、最終的に正すのは国民です。