岡口裁判官に対する弾劾を憲法上どのように考えるべきか

本年(2022年)3月2日、岡口裁判官に対する弾劾裁判の第1回公判が開かれました。裁判官弾劾裁判所が定めた裁判官弾劾裁判所規則は、「第9章 公判」として、審理を行う日時を「公判」と名付けています。「公判」というのは、刑事裁判の場合の呼び方です。

その呼び方からも分かるように、弾劾裁判の審理手続は、大体において刑事訴訟の手続に準じています。審理の準備に関しては、端的に、刑事訴訟法の公判準備に関する条文の多くを準用しています。証拠決定など、審理に関する規定も、刑事訴訟法及び刑事訴訟規則に類似した規定になっています。刑事訴訟は、被訴追者(被告人)に刑罰を科する手続ですから、犯罪事実の厳格な証明を確保することを目的として、厳格なルールに従わせられるのです。その証明の対象となる被告人の犯罪行為についても、厳格に定められる必要があり、罪刑法定主義に従わなければなりません。そのため、犯罪とされる行為の限界の明確性が要求されます。何が犯罪とされるかは、刑罰法規(実体法)により、「構成要件」として定められ、構成要件に当てはまらない場合には、「類似の行為だから、これも同罪」と言うことはできません。例えば、刑法235条は、「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。」と定めていますが、他人の電源コンセントから電気を盗んだ場合、電気は物ではないので、この条文の構成要件には当てはまりません。そのため、刑法245条は、「この章の罪については、電気は、財物とみなす。」と定めています。この規定がなければ、電気を盗んでも窃盗罪として罰することはできないのです。

裁判官弾劾法及び裁判官弾劾規則は、刑事裁判と同様の厳格な手続を定めていますが、刑罰法規に当たる部分(実体法)の構成要件が曖昧で不明確です。裁判官弾劾法が定めている罷免要件(罷免事由)は次のとおりです。
「第2条(弾劾による罷免事由)
弾劾により裁判官を罷免するのは、左の場合とする。
一 職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき。
二 その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。」

岡口裁判官に対する弾劾裁判は、岡口裁判官のツイートが「その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。」に当たるかという裁判になります。しかし、岡口裁判官のツイートがこのような罷免事由に当たるかどうかの境界線は誰にも分かりません。

弁護士会の会長声明などを見ても、従来罷免事由は、犯罪かそれに匹敵する事由に限定されてきたとして、岡口裁判官を罷免しないように要望する意見が多数ですが、過去9件の裁判例を見ても、「その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。」の明確な基準が打ち立てられたとは到底言えません。今回、岡口裁判官が訴追されたという事実を見ても、それは明らかです。

裁判官弾劾法は、手続法の部分については刑事訴訟の厳格な証明の手続を採用しているのに対し、実体法の部分については、明治時代の判事懲戒法の懲戒事由を横滑りさせているところに根本的な問題があります。懲戒処分は行政処分(裁判官の場合は司法行政上の処分)であり、懲戒事由というのは、懲戒権者の裁量権の幅を大きくしてあるのですから、刑罰法規に基づく刑事訴訟とは異質なのです。

それでは、裁判官弾劾裁判は懲戒処分(行政処分)に従うべきなのでしょうか、それとも刑事裁判に従うべきなのでしょうか。憲法64条、78条は、いずれを正当としているのでしょうか。

私は、従前主張しているとおり、憲法が定める弾劾はアメリカ合衆国憲法のImpeachmentを取り入れたものですから、刑事裁判に従い、弾劾事由を重大な犯罪に限定するべきであると考えます。そうでなければ、国会の多数派が、気にくわない裁判官を弾劾裁判所に訴追して、裁判をさせないようにすることが、いとも容易に実行できることになります。これは、憲法78条違反であり、憲法以前の法の支配、立憲主義の要請である司法権の独立、裁判官の独立の侵害になります。従って、現在の裁判官弾劾法は違憲であり、根本的な改正が必要です。

それとともに、岡口裁判官は、罷免訴追が憲法違反であるとして、罷免訴追取消、罷免訴追無効確認、職務停止決定取消、職務停止決定無効確認の各訴訟(行政事件訴訟法3条)を提起し、執行停止の申立て(同法25条、38条)をされるべきだと考えます。

日本の裁判官弾劾裁判所は違憲  2021年6月18日

岡口裁判官の職務停止決定の違憲は明らか  2021年8月20日

裁判官弾劾裁判所に関する全国憲憲法問題シンポジウムについて  2021年9月23日

弁護士ドットコム  2021年6月27日

2022年1月13日追記

岡口裁判官に対する弾劾裁判について、「不当な訴追から岡口基一裁判官を守る会」の、「これまでの経緯と今後の見通しについて」が発表されました。

それによると、事前打合せが4回(2021年10月5日、12月15日、2022年1月21日、2月16日)にわたって行われ、できれば2022年7月の参院選前に終結したいとの意向であったが、その後、本格的な審理は参院選後に持ち越したいという旨の方針変更が伝えられたということです。

そして、訴追委員会の申請にかかる証人尋問は2022年9月以降に持ち越されるだろうとのことです。

私は、前に、「国会で勢力を有する政党にとって不都合と目を付けられた裁判官は、日常行動を監視され、曖昧な基準で弾劾訴追され、強制的に職務を停止されるので、萎縮効果だけでなく、多数党が特定の裁判官を理由なく職務から排除できるという恐ろしい制度です。」と書きました。→上記「裁判官弾劾裁判所に関する全国憲憲法問題シンポジウムについて」

今起こっていることは、その恐ろしい現実の始まりです。岡口裁判官は、2021年7月29日、弾劾裁判所から職務停止決定を受けました。職務停止決定は無期限で、1年以上は続くことが明らかになりましたが、その後、いつ職務に復帰できるか分かりません。

弾劾裁判が刑事裁判だとすれば、憲法37条により、被告人は公平な裁判所の迅速な裁判を受ける権利がありますから、正当な理由もなく期日が先延ばしされるようなことは、あってはならないことです。制度上、刑事裁判ではないとしても、刑事裁判に準じて行われる裁判ですから、迅速な裁判が当然に要請されるはずなので、弾劾裁判所が公平な裁判をする気があるのか、岡口裁判官の職務を停止したままで、漫然と期日を先延ばしするということは、有罪の推定に基づいて審理日程を決めているのではないかという疑いもあります。弁護団も何を考えているのでしょうか。

アメリカの弾劾裁判はどうでしょうか。

まず、弾劾訴追について、ジェトロのウエブページ、 ビジネス短信のトランプ大統領に関する記事(2021年01月14日)を見てみましょう。

以下引用

米国連邦下院議会は1月13日、トランプ大統領に対する弾劾決議案を賛成過半数で採択した。
(中略)
弾劾決議案を起草したデイビッド・シシリーニ議員(民主党、ロードアイランド州)は、トランプ大統領が1月6日の上下両院合同会議における大統領選の結果承認(2021年1月8日記事参照)を妨害する目的で、デモによる暴動を扇動したと指摘した。また、同大統領が選挙に不正があったとして、その結果を認めず、1月2日にはジョージア州の大統領選の結果を覆すよう、同州のブラッド・ラッフェンスパーガー州務長官(共和党)に電話で要請したことを問題視している。決議案は、大統領のこれらの行為が重罪に当たり、平和的な権力移行を妨げ、民主主義を脅かしたとして、大統領職の罷免や公職からの追放を求める内容になっている。

以上引用終わり

アメリカ合衆国憲法が定める弾劾事由は、反逆罪、収賄罪、重大な重罪または重大な軽罪です。
この事件の判決はというと、同年2月13日の米連邦上院(定数100)の評決で、有罪票が3分の2に達せず、無罪の判決が下されました。

事実関係は、かなり複雑だと思いますが、審理期間は、ほぼ1か月でした。