侮辱罪の刑の引き上げ

7月7日、改正刑法が施行され、侮辱罪の規定が次のように変わりました。

改正前
第二百三十一条 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。

改正後
第二百三十一条 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

この改正について、法務省は6月29日付で全国の検察庁に対し、改正の趣旨を踏まえた適切な運用を求める通達を出したとのことです

法務省のホームページのQ&Aには、次のような説明があります。

 Q7 今回の改正によって、侮辱罪の処罰範囲は変わるのですか。
 A7 今回の改正は、侮辱罪の法定刑を引き上げるのみであり、侮辱罪が成立する範囲は全く変わりません。これまで侮辱罪で処罰できなかった行為を処罰できるようになるものではありません。

 Q8 どのような場合に侮辱罪が成立するのかがあいまいではないですか。
 A8 個別具体的な事案における犯罪の成否については、法と証拠に基づき、最終的には裁判所において判断されることとなりますが、侮辱罪にいう「侮辱」にどのような行為が当たるかについては、裁判例の積み重ねにより明確になっていると考えています。

法務省が令和2年中に侮辱罪のみにより第一審判決・略式命令のあった事例として、30件の事例を挙げていますが、全部9000円の科料です。そこに挙げられているような事案が、今後は、懲役1年になり得るというのです。

新聞報道では、古川禎久法相は、「改正法を適正に運用し、時に人を死に追いやることさえある悪質な侮辱行為の根絶を図ることが重要だ」と言ったとのことですが、それなら、人を死に追いやった侮辱だけを重く処罰すればいいはずです。

19世紀の刑法学者アンゼルム・フォイエルバッハは、刑法は犯罪人のマグナカルタであると言いました。この思想が現在の罪刑法定主義を根拠付けています。

マグナカルタというのは、1215年、イギリスの国王が、権力を濫用しませんと誓った証文です。これが後の、権力を縛るという近代立憲主義に発展していきます。

罪刑法定主義も、権力が濫用されないための原理です。このような考え方から、刑法は、何が犯罪かという「構成要件」と、その犯罪に科せられる刑罰をできるだけ厳格に定められなければならないとされてきました。この面から見ると、「侮辱」ということで十把一絡げにして9000円の科料から懲役1年までというのは、権力を縛るという立憲主義、罪刑法定主義に逆行し、人権の歴史に逆行しています。

侮辱罪の構成要件が厳格ではないということは、憲法が保障する表現の自由を過度に制限するという点でも大きな問題です。表現の自由は民主主義の核心に関わるからです。

改正により刑が重くなったというだけではありません。Q&Aには、次のようなことも書かれています。

 Q11  侮辱罪の法定刑の引上げに伴い、法律上の取扱いにどのような変更が生じるのですか。
 A11 侮辱罪の法定刑の引上げに伴って、例えば、次のような違いが生じます。
  (1) 教唆犯及び幇助犯(※1)について、これまでは、処罰することができませんでしたが(刑法64条)、法定刑の引上げに伴い、その制限がなくなります。
  (2) 公訴時効期間(※2)について、これまでは1年でしたが、法定刑の引上げに伴い、3年となります(刑事訴訟法250条2項6号・7号)。
  (3) 逮捕状による逮捕について、これまでは、被疑者が定まった住居を有しない場合又は正当な理由なく出頭の求めに応じない場合に限り逮捕することができましたが(刑事訴訟法199条1項ただし書)、法定刑の引上げに伴い、その制限がなくなります。
  (4) 現行犯逮捕について、これまでは、犯人の住居若しくは氏名が明らかでない場合又は犯人が逃亡するおそれがある場合に限り現行犯逮捕をすることができましたが(刑事訴訟法217条)、法定刑の引上げに伴い、その制限がなくなります。

つまり、罰せられる人の範囲が拡がり、他人を侮辱した人は誰でも逮捕される恐れがあるということになりました。警察官の権力が拡大したということです。このことの重大さは、今はあまり感じられないかもしれませんが、例えば日本が戦時態勢に入ったとき、政府を批判する主張をする人は、何時でも逮捕勾留される覚悟が必要だということです。

その人が起訴された場合、弁護人も、うっかりした発言をすると、侮辱罪で逮捕勾留されかねないので、弁護も萎縮するかもしれません。

この立法は違憲だと考えられますが、裁判所が人権を重んじて逮捕を認めない判断をする可能性は、ほとんどないと思います。