弁護士吉田孝夫の憲法の話(48) 平等ということ(2)

「平等」という言葉は、ヨーロッパの「等しい」という意味の語を訳したものです。「等しい」という言葉は、例えば、正方形の4本の線の長さは皆等しいというようにも使えますが、日本では、その「等しい」を言い換えて、正方形の4本の線の長さは皆平等だと言うことはできません。「平等」というのは人間尊重の憲法にピッタリの言葉だと思います。
「平等」は、1500年位前に、はるばるインドから中国や朝鮮半島を経由して、仏教の平等思想と共に、日本に渡ってきました。
インドには古来、バラモンを最も高貴な身分とする身分差別の制度がありました。それに対し、ブッダは、こう言いました。「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」(中村元訳「ブッダのことば スッタニパータ」岩波文庫)。ブッダの「行為」は職業とは関係ありません。ブッダは続けて、「わたくしは次にこの実例を示すが、これによってわが説示を知れ。チャンダーラ族の子で犬殺しのマータンガという人は、世に知られて令名の高い人であった。」と言っています。チャンダーラ族というのは最低の身分です。被差別民出身の犬殺しという職業に就いている人も差別されてはならないということです。
仏教は、前世の行為の善悪によって、高貴な身分や賎しい身分に生まれるという教えだと思われています。「因果」というのも確かに仏教に由来しますが、ブッダの教えがねじまげられてしまったようです(友岡雅弥「ブッダは歩むブッダは語る」天の川書房)。

「平等」という言葉が昔から日本にあったとは、驚くべきではありませんか。しかし、日本全体に平等思想が定着するのは、いつのことでしょうか。