弁護士吉田孝夫の憲法の話(58) 信教の自由

憲法20条1項は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」と定め、2項は、宗教上の行為等に参加することを強制されない自由、3項は国の宗教教育等の宗教的活動の禁止を定めています。
憲法について2及び40に書きましたように、明治憲法下で国民(臣民)は小学校から教育勅語によって、天皇が神様であるという思想をたたき込まれ、神道が事実上の国教になっていましたから、国は、戦争に反対する人々に対する迫害をほとんど抵抗なく行うことができたという歴史的事実があります。国の戦争政策に従わない人々は「非国民」と呼ばれました。
前に、規制だけでなく奨励も間接的に自由を制限する手段になり得ると書きましたが、上記のとおり、憲法は、国が宗教団体に特権を与えるなどの宗教的活動の奨励を明文によって禁止しています。これに関連して、憲法89条は、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、(中略)これを支出し、又はその利用に供してはならない。」と定めています。
憲法がこのように信教の自由を厳重に保障しているのは、上記の歴史的経緯に由来するものです。そして、信教の自由が争われた裁判も、神道や神社に関するものが多いと言えます。例えば、三重県津市の主宰で行われた市の体育館の建築に神道式地鎮祭が行われ、神官への謝礼等の費用7663円が支出された事件、殉職した自衛官が妻の意思に反して隊友会の申請により県の護国神社に合祀された事件、愛媛県が靖國神社に玉串料等を支出した事件、首相の靖國神社公式参拝事件などがあります。
なお、首相の公式参拝を違憲と判断した裁判官は、右翼団体から裁判官訴追委員会に訴追請求されたり、人事異動で冷遇されたりする危険にさらされます。憲法が定める裁判官の独立や身分保障が軽視されているのです。