裁判官が帰宅途中に、事件記録を紛失したというニュースについて

裁判官がリュックサックに、民事裁判の当事者が作った書面の写しやUSBメモリを入れて持ち帰り、飲酒を伴う会食をしたあと、帰宅途中にリュックサックを紛失したというニュースがありました。

地裁では、「裁判官が裁判に関する文書やデータを自宅に持ち帰る際は飲酒はせず、娯楽施設などに立ち寄らないよう指導していた」ということで、所長は「指導を順守せずに紛失し、現在まで発見されていないのは不適切であり、今後同じようなことが起こらないよう再発防止に努めたい」とコメントしたと報道されています。

裁判官が帰宅途中に記録を紛失したという事例は過去に何回かあります。このようなことが何回もあるということは、制度的な欠陥を窺わせるものです。日本では、裁判官は記録を家に持ち帰って、残業や休日業務を行うのが伝統になっているようですが、このような状態が正常であるわけがありません。

昔、大阪地裁は裁判官室が足りず、裁判官が交代々々に裁判官室を使用するため、出勤する日と出勤せずに自宅で仕事をする日(宅調日)が設けられていましたが、現在はそのような必要性がないはずです。

さらに日本の司法制度の欠陥を表しているのが、裁判官を「指導していた。」という事実です。裁判官が学校の生徒のように扱われています。

日本では、学校の生徒と同等で一人前の職業人と認められないような人間が裁判官になっているという事実が公表されても誰も怪しまないのです。

私が「司法修習生の「給費制」問題の議論で抜け落ちているもの」https://miyakonojo-kamimachi.com/archives/1406で指摘したように、憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定めていますが、憲法が本当に司法権の独立を実現するためには、現実の裁判官が司法権の独立を担う意思と能力を備えていること、裁判官相互の間に上下関係がない制度になっていることが要請されます。そうでなければ、3人の裁判官が合議で判決すると言っても、階級が高い裁判官の意見が強くて、階級の低い裁判官は自分の意見を堂々と述べることが困難になり、憲法76条3項は空文化してしまいます。

裁判官を「指導していた。」というのは、裁判官に上下関係があることを端的に表しており、日本では、内閣が最高裁長官の指名権、最高裁判事の任命権を通じて、司法権の末端まで政治に従属させる仕組みができていることの現れです。