弁護士吉田孝夫の憲法の話(18) 戦争放棄の思想
初めて戦争放棄条項を定めた憲法は,フランス革命後の1791年(日本では江戸時代,老中松平定信が寛政の改革を行っていた頃)に制定されたフランス憲法です。もっとも,自衛戦争までは放棄されていません。
ドイツの哲学者カントは1795年,フランスの思想家ルソーの思索を引き継いで,「永久平和のために」を書きました。カントの永久平和論は,永久平和が実現可能であることの論証と具体的な方策の提示に向けられ,軍備全廃を主張しています。
日本では,儒学者である横井小楠(しょうなん)が,中国古代からの非戦思想を元に,幕末から明治にかけて戦争・軍備の廃止を提唱しました。又,明治初期に欧米に留学して,国際法の考え方から戦争・軍備廃止を提唱した学者もいました。自由民権運動の理論面を支えた植木枝盛(えもり)も常備兵の廃止(但し,当面は陸軍のみ廃止)を提唱しました。
(以上は,山室信一著「憲法9条の思想水脈」より)
欧米諸国は植民地獲得競争を繰り広げ,日本はどのように対処するべきかが大きな問題でしたが,日露戦争の頃からは,反戦を主張する思想家が次々に現れました。
足尾鉱毒事件で有名な田中正造も外交による平和を主張した一人です。田中正造は新井奥邃(おうすい)の影響を受けたと言われています。奥邃が提唱した平和論は理念的なものですが,田中正造は,政策論として軍備全廃を主張しました。奥邃は元仙台藩士で,戊辰戦争では反政府軍に参加しました。敗北後,許されて,森有礼の随行員としてアメリカに渡り,特異なキリスト者であるT.L.ハリスの農園で28年間,修道士のような生活を送った後,1899年(明治32年),トランク一つで帰国し,東京で塾を開いて,青年に儒学や英語などを教えていました。