弁護士吉田孝夫の憲法の話(57) 思想・良心の自由
憲法19条は、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」と定めています。これは内心の自由とも言われ、信教の自由にも関わるものです。心の内にどんな考え、思想を持っていても、それによって不利益を負わされることはないということです。それは、思っていることを表明させられない、心の内を探られない自由でもあります。憲法15条4項は、「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。」と定めています(日本の投票記載台が不適切という批判がありますが。)。これも内心の自由と密接に関わっています。
江戸時代にはキリスト教は禁止され、キリシタンを発見するために、人々に銅版のキリスト像など(「踏み絵」)を踏ませたということです。昭和の戦争の時代には、前にも書きましたが(憲法について42、43)、思想そのものを取り締まるため、国が思想調査をしたり、特別高等警察(特高)が思想犯の疑いがある者を拘束して拷問したという歴史があります。
今は憲法によって内心の自由は保障されているように見えますが、「有事」になったら憲法の保障も吹き飛ばされる恐れはあります。例えば、日本を含む西側諸国はウクライナを民主主義と法の支配という価値観を共有する国と言っていますが、ロシアとの戦争状態の中で、ウクライナでは早々に野党は非合法化されました。ウクライナ在住のアメリカ人ユーチューバーが政府を批判したことでロシアに加担したとして逮捕され、病気の治療も受けられずに亡くなったというニュースもありました。アメリカ政府もそれに対する見解を示していないとのことです。「有事」の場合でも憲法の保障が受けられるかどうかは、国民の人権意識に強く左右されます。日本でも、憲法が定める人権や司法権の独立に国民も国会議員も冷淡で、いざという時、裁判所はあまり頼りにならないと予想されます。