破産についての基本的な考え方(3)

明治破産法から大正破産法へ

明治の旧商法によれば、債務者が全体的に約定通りの支払ができない状態(支払停止)になった場合に、裁判所は、破産宣告と同時に債務者の動産の封印を命じ、原則として債務者の勾留もしくは監守も命じることになっていました。但し、債務者が支払停止の日を含めて5日以内に貸借対照表及び商業帳簿を添えて届け出れば、勾留、監守を免れました。

旧商法の破産制度は、破産自体が社会的に非難され、公私の資格・栄誉権を剥奪され、犯罪者のように扱われたのです。従って、自己破産は犯罪者の自首に類似する行為でした。

その後、破産制度が全面的に見直され、1922年(大正11年)に破産法が制定され、翌年施行されました。この破産法は、ドイツ法系に属し、商人ではない個人や法人にも適用されることになりました(一般破産主義)。

また、破産宣告後に破産者が得た財産は、原則として債権者への配当の財源にはしないこと(固定主義)が定められました。実際には、裁判所が必ずしも法律どおりには運用しなかったこともありますが。

破産者に対し制裁を課するべきか否かという点に関しては、破産法には資格剥奪の規定を置かず(非懲戒主義)、旧破産制度に比べて破産者の地位が改善され、形式的には、破産は、経済的に破綻した債務者の財産を換価して全債権者に公平に分配する裁判上の制度(包括執行)ということになりました。

つまり、前に述べました「債権者の足並を揃えさせて、債務者の限られた財産を、利害の対立する多数の債権者に公平に分配する」制度になったのです。

しかし実質的にはドイツとは異なり、破産法以外の法律による公私の資格剥奪制度は相変わらず広範囲にわたっており、免責制度はなく、個人破産に関しては、債務者に対する制裁の意味を持ち続けました。