司法修習生の「給費制」問題の議論で抜け落ちているもの(5)

6 司法修習制度の発足とその後の状況の変化

違法性には強弱がありますが、それと同様に違憲性にも強弱の程度の違いがあると考えます。下級裁判所裁判官の任期・再任を定めた憲法八〇条一項の限定解釈と司法修習制度を新設したことで、憲法の法曹一元の要請に対し、官僚裁判官制度の違憲性はある程度薄められたと思います。しかし、憲法に裁判官の任期規定が存在する限り、憲法の法曹一元の要請が消滅することはないはずです。旧司法省官僚が明治憲法下の官僚裁判官制度を残すことにこだわったのは、裁判官に対する統制の根拠地を確保するためだと考えられますが、それがそもそも裁判官の独立に反します。現行憲法下での官僚裁判官制度というのは木に竹を接いだようなものと言うほかはなく、憲法の限定解釈と司法修習制度を前提にした官僚裁判官制度というのは、あくまでも法曹一元が採用されるまでの暫定的なものだと考えるほかありません。
違憲性に強弱の程度の違いがあるという観点からは、そのような暫定的な制度を後に変更する場合、それが違憲性を強める変更か、それとも違憲性を弱める変更かを見きわめ、前者の場合は違憲無効というべきで、どっち道違憲に変わりはないというような考え方は妥当ではないということになります。
新憲法施行から一五年後、一九六二年(昭和三七年)、内閣に臨時司法制度調査会が設置され、一九六四年(昭和三九年)にその意見書(臨司意見書)が発表されました。意見書は、法曹一元について、望ましい制度ではあるが時期尚早とし、その実現には法曹人口の大幅な増加が必要だというような高いハードルを設けたのです。これは、法曹一元が憲法の要請であるとは認めずに一個の理想に祭り上げ、事実上、現行憲法の下での官僚裁判官制度の合憲性を肯定したことになります。ただ、ここで注意しなければならないのは、その結論は、憲法八〇条一項について通説の解釈を前提にしているはずだということです。
一九六九年(昭和四四年)、最高裁は、一〇年の任期満了に際し、任地指定に従わない長谷川判事の再任を拒否し、更に、一九七一年(昭和四六年)には、宮本判事補の再任を拒否しました。宮本判事補再任拒否事件では最高裁は、再任指名を自由裁量行為とし、同判事補の不服申立ても却下し、再任拒否の理由を告知する必要もないとの見解を示しました。このような再任拒否は、憲法八〇条一項を限定解釈してきた憲法学者の通説に反するものですが、最高裁は、臨司意見書により法曹一元が棚上げされたことに安心して限定解釈を捨て去ったのだと思います。しかも、これが同条項についての最高唯一の有権解釈なのです。
こうなると、裁判官は一〇年ごとに、切り捨て御免の免職の危険にさらされていることが明らかになりました。同じキャリア・システムでも行政官僚の方が裁判官より実質的に身分が保障されているのです。最高裁の見解は、これでも合憲だというのですが、再任を自由裁量とする解釈によって官僚裁判官制度は強い違憲性を持つことになりました。自衛行動のみを行う自衛隊よりも集団的自衛権行使のための軍事行動を行う自衛隊の方が違憲性が強いのと同様に、再任を羈束行為とする官僚裁判官制度より再任を自由裁量とする官僚裁判官制度の方が裁判官の身分保障を強く侵害し、ほとんど無意味にします。
官僚裁判官制度については、俸給の昇進制度も裁判官の独立を侵害するものであるとする批判があり(P.カラマンドレーイ著小島武司・森征一訳「訴訟と民主主義」60頁以下)、日本の裁判官の極端な昇進制度も問題ですが、それよりも、日本の裁判官は地雷原で生活しているような不安定な状態に置かれているということの方がはるかに重大な問題です。このような制度を背景にして、最高裁事務総局は毎年四月、下級裁判所裁判官を大移動させ、その統制力を誇示しています。

(つづく)