司法修習生の「給費制」問題の議論で抜け落ちているもの(6)

7 司法修習制度の縮小・後退

官僚裁判官制度を残す代償の一つである憲法八〇条一項の限定解釈は最高裁による再任拒否事件により崩れてしまいましたが、ほぼ同時期に、もう一つの代償とされた司法修習制度も攻撃にさらされました。その内容は、裁判官・検察官の養成と弁護士の養成を分離しようとするものでした。分離修習が法曹一元の要請から遠ざかることは明らかで、それは取りも直さず違憲性を強めるものです。制度を急激に変えることは合憲の方向への変革も弊害を生じさせる可能性があるので、必ずしも妥当とは言えない場合もありますが、前述のとおり、違憲性を強める方向への制度改変はそれ自体が違憲ど言わなければなりません。
一九七〇年代には、前掲「岐路にたつ司法修習」に見られるように、法曹一元を掲げる弁護士の抵抗も強かったので、二年間の統一修習は維持されました。
敗戦からまもない貧しい経済状態の中では、修習期間について「三年以上」とする意見を斥けて、「少なくとも二年」として出発しましたが、その後、豊かになった経済状態のもとでも、修習の内容をより充実させるとか、期間を延長することなどは全く検討されませんでした。
それどころか、一九九九年、司法試験合格者の増加を口実に、修習期間は一年六カ月に短縮されました。司法官試補の修習期間に戻ったということです。法曹一元が採用されないのに司法修習を拡大するのではなく縮小することは、法曹一元から遠ざかるものです。これは裁判官を弱体化し、裁判官の独立を害するものですから、即違憲と言わなければなりません。この時、日弁連執行部は修習期間の短縮を容認し、司法修習制度に関する原理原則を手放してしまったと思います。

(つづく)