日本の裁判官弾劾裁判所は違憲

岡口裁判官が弾劾裁判所に訴追されたというニュースがありました。私は、現在の日本の裁判官弾劾制度は違憲と考えます。

まず、憲法78条は、次のように定めています。
「裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。」

これは、裁判官の独立を担保するために、憲法が定めた裁判官の身分保障の規定だということに注意しなければならないと思います。つまり、弾劾裁判所を作りさえすれば、裁判官を罷免する理由には制限はないと解釈することを憲法は許容していないということです。

憲法78条を受けて、裁判官の弾劾制度の内容を定めたはずの法律が裁判官弾劾法です。その第2条は、次のように書かれています。

「第2条(弾劾による罷免事由)
弾劾により裁判官を罷免するのは、左の場合とする。
一 職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき。
二 その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。」

この裁判官弾劾法の規定について考えるには、弾劾裁判とは何かということについての予備的知識が必要です。そうでないと、抽象的な議論になってしまいます。

そもそも、明治憲法の時代には、日本には弾劾裁判所などありませんでした。弾劾裁判所は英米法の制度です。日本国憲法に規定された弾劾裁判は、アメリカの制度を取り入れたものです。

マッカーサー草案第70条には次のように書かれています。

「判事ハ公開ノ弾劾ニ依リテノミ罷免スルコトヲ得行政機関又ハ支部ニ依リ懲戒処分ニ附セラルルコト無カルヘシ」

日本国憲法78条は、このマッカーサー草案を引き継いだものですから、アメリカの弾劾裁判の制度を継受したことが明らかです。

アメリカ大使館のウエブサイトの訳による合衆国憲法には次のように規定されています。

第1章[立法部]
第2 条[下院]
[第5 項]下院は、議長その他の役員を選任する。弾劾(Impeachment)の訴追権限は下院に専属する。
第3 条[上院]
[第6 項]すべての弾劾(all Impeachments)を裁判する権限は、上院に専属する。この目的のために集会するときには、議員は、宣誓または宣誓に代る確約をしなければならない。合衆国大統領が弾劾裁判を受ける場合には、最高裁判所長官が裁判長となる。何人も、出席議員の3分の2の同意がなければ、有罪の判決を受けることはない。

第2章[執行部]
第4 条[弾劾] 大統領、副大統領および合衆国のすべての文官は、反逆罪、収賄罪その他の重大な罪または軽罪につき 弾劾の訴追を受け、有罪の判決を受けたときは、その職を解かれる。
The President, Vice President and all civil Officers of the United States, shall be removed from Office on Impeachment for, and Conviction of, Treason, Bribery, or other high Crimes and Misdemeanors.

アメリカの弾劾裁判は、上記のとおり、明らかに刑事裁判です。それも、「反逆罪、収賄罪その他の重大な罪または軽罪」というのは、どれも犯罪を前提にしています。「不品行」などは弾劾の理由になりません。「その他の重大な罪または軽罪」の「重大な罪または軽罪」というのは一括りの用語で、「重大な」という修飾語は、「罪または軽罪」に掛かると解されています。つまり、反逆罪、収賄罪の例示(国家的犯罪、職務犯罪です。)に匹敵する「重大な罪」または「重大な軽罪」につき有罪とされた場合に資格を失うということです。

従ってアメリカでは、弾劾は刑事裁判であり、その裁判を行うのが議会だということです。その判決は、「有罪」または「無罪」であり、有罪の判決により資格を失い、解職されるのです。犯罪ではない不品行では有罪になりません。

2020年2月、アメリカで弾劾訴追されたトランプ大統領に対し、上院が無罪の判決をしたというニュースがありました。トランプ大統領の任期は前月20日に終わっていました。ですから、弾劾裁判は大統領を解職するか否かを判断する裁判ではないことは明らかです。

アメリカの弾劾裁判は、イギリスの弾劾裁判を継受したものです。イギリスでも、弾劾裁判は長い歴史を経て刑事裁判になっています(野上修市「アメリカの連邦裁判官の弾劾」https://meiji.repo.nii.ac.jp/record/424/files/horitsuronso_45_5-6_47.pdf、佐藤立夫「弾劾制度の比較研究 上)。

これに対し、日本の裁判官弾劾法では裁判官を罷免するか否かの裁判で、裁判官の犯罪が罷免の条件になっていません。日本では、職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失う非行があれば、犯罪でなくても罷免されるというのですから、アメリカの弾劾裁判とは根本的に異なります。

日本の裁判官は、
「 一 職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき。
二 その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。」
には罷免されるというのです。

日本では、職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失う非行があれば、犯罪でなくても罷免されるというのですから、裁判官の日常行動が政治部門からの監視の対象にされてしまいます。訴追委員会に呼び出されるだけでも裁判官にとっては相当の圧力です。これは、裁判官の身分保障を骨抜きにするものであり、憲法が定めた弾劾に適合していません。

その上、裁判官弾劾法15条は、
「何人も、裁判官について弾劾による罷免の事由があると思料するときは、訴追委員会に対し、罷免の訴追をすべきことを求めることができる。
② 高等裁判所長官はその勤務する裁判所及びその管轄区域内の下級裁判所の裁判官について、地方裁判所長はその勤務する裁判所及びその管轄区域内の簡易裁判所の裁判官について、家庭裁判所長はその勤務する裁判所の裁判官について、弾劾による罷免の事由があると思料するときは、最高裁判所に対し、その旨を報告しなければならない。
③ 最高裁判所は、裁判官について、弾劾による罷免の事由があると思料するときは、訴追委員会に対し罷免の訴追をすべきことを求めなければならない。
④ 罷免の訴追の請求をするには、その事由を記載した書面を提出しなければならない。但し、その証拠は、これを要しない。」
と定めていますが、これは、国民を総動員して、裁判官の日常行動を監視できる体制にし、更に、司法の内部においても、各裁判官に対する監視・統制を強化しているということです。

弾劾裁判の訴追機関と裁判機関についても、英米では下院が訴追し、上院が裁判を行うとされているのに対し、日本では、
5条1項「裁判官訴追委員(以下訴追委員という。)の員数は、衆議院議員及び参議院議員各十人とし、その予備員の員数は、衆議院議員及び参議院議員各五人とする。」
16条 「裁判員の員数は、衆議院議員及び参議院議員各七人とし、その予備員の員数は、衆議院議員及び参議院議員各四人とする。」
と、非常にお手軽になっています。

日本の弾劾裁判所がこのように、憲法76条3項「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」との裁判官の独立を無視した制度になった原因は、明治憲法下の天皇の官僚としての裁判官という思想を、日本国憲法下においても濃厚に引き継いでいるからであると考えられます。

罷免事由の、
「 一 職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき。
二 その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。」
というのも、
明治憲法下の判事懲戒法(明治23年法律第68号)1条の、
「第一條 凡ソ判事ヲ懲戒スルハ左ノ場合ニ於テ懲戒裁判所ノ裁判ヲ以テスヘシ
第一 職務上ノ義務ニ違背シ又ハ職務ヲ怠リタルトキ
第二 官職上ノ威厳又ハ信用ヲ失フヘキ所爲アリタルトキ」
をそのまま引き継いでいます。

懲戒には、けん責、減俸、転所、免職の4段階がありましたが、裁判官弾劾法には「罷免」しか規定されていないので「著しく」が付けられたと考えられます。しかし、犯罪の場合には、刑罰法規何条の犯罪構成要件に該当するのかを厳密に判断しなければならないのに反し、「著しく」では歯止めにならず、不利益処分や表現の自由に対する制限において考慮すべき明確性の原則に反します。

戦前の治安維持法下で、戦争遂行の国策を推進した司法官僚が戦犯としての責任も問われず、そのまま日本国憲法下の裁判所に引き継がれた歴史的経緯については、西川伸一「最高裁のルーツを探る 裁判所法案起草から三淵コート成立まで」https://t.co/BU4Fs93EU9や、丁野暁春・根本松男・河本喜代之「司法権独立運動の歴史」に書かれています。最高裁判事を選任する過程において、司法権独立運動の候補を落選させるための謀略を窺わせる事件までありました。

因みに、裁判官には国家公務員法が適用されず、現在でも官吏服務紀律(明治20年勅令39号)が適用されることになっています。官吏服務紀律1条の旧規定「凡ソ官吏ハ天皇陛下及天皇陛下ノ政府ニ対シ忠順勤勉ヲ主トシ法律命令ニ従ヒ各其職務ヲスヘシ」は、「凡ソ官吏ハ国民全体ノ奉仕者トシテ誠実勤勉ヲ主トシ法令ニ従ヒ各其職務ヲ尽スヘシ」と改正されたものの、それによって旧司法官僚の頭の中が変わったとは思えません。旧来の官僚組織の指導理念としての特別権力関係論の思想は人間とともに引き継がれたと思われます。それは、裁判官分限法の規定及び現在の運用にも顕著です。

明治憲法下の裁判官は終身官としての身分保障がありましたが、現在の下級裁判所裁判官は10年の任期が終われば、任命権者の自由裁量で再任されなければ、期間契約社員のように職を失う制度になっていますので、身分保障は、有って無きがごとしです。下級裁判所裁判官指名諮問委員会の制度ができたと言われていますが、そのようなものは、裁判官にとって、あてになりません。ほぼ3年ごとの「転所」に全裁判官がおとなしく従っていることが、「裁判官の独立」、「裁判官の身分保障」の実態についての裁判官の意識を雄弁に物語っています。

弾劾裁判所が違憲だとすれば、訴追委員会の訴追に対する違憲無効確認訴訟、弾劾裁判所の罷免の裁判に対する違憲無効確認訴訟が認められるはずです(憲法81条)。

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